昭和27年7月23日生まれ。大阪府八尾市出身。
昭和44年7月、作画グループの同人誌『ぐるーぷA』に『雲と少年』を発表。 19歳の時上京し、ルポ・イラスト、単行本等の企画・構成の仕事をする。『小学六年生』の読者ページ「ハロー6ワイドショー」で活躍。 昭和53年、第1回小学館新人コミック大賞に「最終テスト」で応募、入選となる。(『週間少年サンデー』1月1日号で発表。) 『週間少年サンデー』増刊号に掲載の「どうせ瞳クン!」、『週間少年サンデー』連載の「あばれ大海」を経て、昭和54年、『週間少年サンデー』にコメディタッチの『ダッシュ勝平』を連載。この作品は大ヒットし、TVアニメにもなった。 その後青年誌に舞台を変え、『F−エフ−』、『ICHIGO』、『バロン』などを発表。平成3年には『F−エフ−』で第36回小学館漫画賞を受賞。 平成16年現在も、旺盛な創作を続けている。 参考資料『日本漫画家名鑑500』 作品掲載雑誌等 |
作画グループとの関係 |
「アストロ作画会という同人グループに入っていて、良心的な作品ばかり |
かいていた。『雲と少年』なんてタイトルで、少年が毎日、雲と話をするとか |
いう内容で、いま思うと恥ずかしい。 |
姉が、同人誌では有名な作画グループの会長さんと同級生だったので、 |
アストロがつぶれてからは、作画グループに入って、一応SFの暗い話を |
かいていた。 |
どうも暗い話ばかりかいていた。」 |
(『サンデーまんがカレッジ チャレンジ新人賞!』六田登メモランダムより |