参観灯台の歴史


 灯台とは
 海の道しるべである航路標識には、「光波標識」「電波標識」「その他の標識」があり、
灯台は光波標識の一つです。

 参観灯台とは
 社団法人燈光会が委託を受けて行っている、常時一般公開されている灯台で、2017
年現在では15の参観灯台があります。
 この他、海の日や灯台記念日などに特別に一般公開される灯台もあります。
 また、「灯台」の機能を持つ、江の島シーキャンドル(江の島展望灯台)は民間灯台で、
常時公開しています。かつては横浜マリンタワーも灯台の機能を併せ持っていました。

 灯台参観の始まり
 灯台参観の始まりについて、『日本燈台史』は次の様に記しています。
 「燈台参観のことは、古く明治初年から行われていた。燈明番示教書第21条に「一守
燈方其職務施行ノ障碍ニナラサルトキハ便宜ヲ以テ諸人ニ燈台ノ縦観ヲ許スヘシ」とし
その規則が列記してある。その後昭和6年(1931年)燈台参観心得(燈監甲第1133号)
が制定され、参観者取扱いの基準となっていた。」 
 (『日本燈台史』昭和44年6月30日燈光会発行)  

 犬吠埼灯台の参観
 明治時代の犬吠埼灯台の参観について、明治41年発行の『犬吠土産 燈臺物語』は、
自序の最初の部分で、編纂を思い立った理由を説明しています。要約すると、次の様な
内容です。
 世の中の人は、燈台について何も知らない。燈台の観念に乏しいのは、海事思想の幼
稚に起因するのであって、我が国家の為に嘆かわしき現象の一つである。
 私がこの犬吠埼灯台に赴任して未だ日が浅いので、十年以前のことは判らないが、当
今においては毎日の縦覧申込者は二十人を下らない。風雨の日でさえ一人もいないと
いうことはない。
 夏にはどんな悪天候でも八十人を下ることはなく、春秋の季節には一日に八百名を越
える事がある。その多くは団体で来る学生である。
 また、来館者原簿により、過去四五年間の統計を見ても、やはり同様である。来観者
の多くは、ただ高いが故に登って見たいとの目的である。あたかも東京浅草公園の十二
階にでも登るような気持ちで、観料を問い合わせて来る者さえいる。
 海事思想及び科学的の趣味を以て、学術研究のためにと縦覧を申し込んでくるのは、
ほとんど学生のみである。彼らには在勤の官吏に於いても喜んで事情の許す限り、設備
や機械について詳細な説明をしたいのだが、多忙のため思い通りにならないことも多
い。そこで、本書を著して公にした次第である。
(『犬吠土産 燈臺物語』明治41年3月20日発行)      
編者 下総国犬吠崎燈臺官舎 佐賀藩士族 田中熊次郎 

 燈臺縦覧心得(明治32年10月)
 『犬吠土産 燈臺物語』には、『燈臺縦覧心得』(明治32年10月)が掲載されています。
 『燈臺縦覧心得』には、全11項目の心得が定められており、灯台の縦覧は午前10時
から日没2時間前までとすること、縦覧には許可が必要であること、許可を受けた者は
名簿に住所、氏名を記すことなどの「心得」が記されています。
 このような「燈臺縦覧心得」が発せられているということは、犬吠埼灯台に限らず、当時
灯台の参観が多かった事を示していると考えられます。
 『日本燈台史』は、昭和6年(1931年)制定の「燈台参観心得」を挙げていますが、明治
時代から同様の「心得」があったことがわかります。

 燈台参観者数推移
 『日本燈台史』には「燈台参観者数推移」が掲載されています。
年  度 参観燈台 参観者数 年間参観者最多観所および数
明治41年度 91 38,411 犬吠埼 8,545
大正 3年度 115 71,768 犬吠埼 11,746
    11年度 127 124,789 犬吠埼 19,196
昭和 9年度 151 290,293 犬吠埼  69,161
   14年度 155    246,308 犬吠埼  68,698
 昭和9年度の犬吠埼灯台年間参観者数の69,161人は、1日平均にすると190人に
なります。本当にすごい参観者数ですね。

 参観灯台の始まり〜『日本燈台史』の記述
 『日本燈台史』は、終戦後の参観燈台の始まりについて次の様に記しています。
 終戦後の一般の観光熱が旺んになるに伴って、一部の灯台では参観者が急激に増加
し、従来の参観人取扱いでは整理しえない状勢となったので、、昭和23年(1948年)3月、
燈光会の定款第8条4号「航路標識事業の周知宣伝をなすこと」の主旨より、これを燈
光会で行うことになった。
 この対象となった燈台は、観音埼ほか13ヵ所で、燈光会の従業員をおいて参観関係
事務に当たらせた。このとき燈台参観人整理要綱、燈台参観心得、参観事務取扱いの
準則を設け、燈台参観のことは、燈台長の指示に従い燈台業務に支障のない範囲にお
いて行うこととされたのはもちろん、その他厳格な秩序のもとにこれが行われるよう配慮
された。

 最初の参観燈台
 『日本燈台史』には、観音埼以外の13か所の灯台の名称は記入されていませんが、
昭和25年6月1日発行の『燈光』には「参観事業収支計算書が掲載されており、参観事
業を行った灯台名と収益金がわかります。
 参観事業収支計算書
自昭和24年  1月 1日
至昭和24年12月31日
燈 台 名 収   益   金
 観音崎      221,443.50
 犬吠崎 151,037.00
 城ヶ島 43,612.80
 出雲日御崎 34,483.00
 野島崎 20,426.00
 潮 岬 18,900.00
 清 水 17,783.00
 大王崎 14,077.90
 塩屋崎 5,000.00
 劍 崎 3,430.00
 釧路崎 1,612.70
 チキウ岬 1,500.00
 葛登支岬
 室戸岬
532,306.30
(昭和25年6月1日発行「燈光」3・4月号)
 
この14灯台のうち、現在の参観灯台は観音崎燈台(神奈川県)、犬吠崎燈台(千葉県)
出雲日御碕灯台(島根県)、野島崎燈台(千葉県)、潮岬燈台(和歌山県)、大王崎燈台
(三重県)、塩屋崎燈台(福島県)の7灯台です。

 灯台参観について〜その後の推移
 昭和33年の『灯光』9月号には、「灯台参観について」(本庁監理課 松本基)の記事が
あります。これが現在の参観灯台の解説としては最も詳しいと考えられますので、少し長
くなりますが、部分的に引用します。
1.灯台参観事業の経緯
    今までの灯台参観方法とこれに灯光会がタッチしたいきさつ 
 「灯台の参観については、灯台局時代に同局達をもって灯台参観心得を定め(大正4
年)灯台業務の一環として一般の参観を許可してきた。」
 「ところが終戦後、観光事業の発展等に伴って、灯台の見学のために来集する者が激
増し、個所によっては、間断のない参観者のために灯台本来の業務の遂行にも支障を
きたすようになり・・・」
 「このような状況により、昭和23年4月、灯光会は参観人の秩序ある見学と、その跡
始末を官に代って行うことを引受け、これに要する経費に充てるため参観者より整理料
を申受ける方法を採ったのである。」
 「申すまでもなく灯台は国有財産であり、この灯台を見学させることにより灯光会が参
観者から金を徴収することは問題があるが・・・」「燈光会が行う実費の徴集は国とは関
係なく同会の独立収支に基づいている。と云う解釈であった。」
 「然し見学者の側から見れば、金を払って燈台を見たという感じを受けるのは当然であ
り、・・・」
 「昭和29年9月に『燈台職員は少人数であり、本務の傍ら多数の見学者の案内や、見
学後の跡始末などの仕事をすることはできないので、燈光会がこの仕事を引受けて実
施している』旨を見学者に対し掲示板により周知させ、この仕事に要する経費に当てる
ため『応分の寄附を申し受ける』方式に改め現在に至った」
2.今般改正した参観取扱方式
    今までの参観方式の難点とこれが打開方法及び改正方式の概略
 「一般見学者の誤解と疑惑を招き、すっきりさせ得ないものがあるのは何と云っても燈
光会が国の財産を使用して収益を得ていると云う見方である。」
 「そこでこの際、はっきり国の財産である燈台を使用するのだと云うことを打ち出して、
燈台見学者の案内等を燈光会が行うことができるよう認可して貰おうと云うことになり、
これは保燈監第238号(昭和33年7月18日付)「燈台参観者の案内等について」にいう
ところの条件により今般海上保安庁の承認を得たのである。」
 「そこでいまこれらの承認事項の概略を挙げてみると
 (1) 燈光会が燈台参観者の案内、受付、整理を行うことができる個所は次の22個所と
する。
   日和山、釧路埼、鹿屋崎、○入道崎、○犬吠埼、○観音埼、○城ヶ島、○野島埼、
   ○御前埼、野間埼、足摺埼、江 埼、潮岬、○紀伊日御埼、室戸埼、都井岬、長尾
   鼻、○出雲日ノ御碕、岩崎鼻、生地鼻、禄剛埼、大野
                        ○印は現在実施中の箇所
 (2) 〜 (6)  略
 「・・・この経費として大人10円、小人5円の手数料をいただくことになっていますので御
協力下さるようお願いいたします。」 (5)に定める掲示の一部
 「前記22個所の中○印の10個所は現在実施中又は実施準備中であり、残り12個所
は状況により漸次実施の予定である。
3.今後の運営について
    今後実施予定の12個所の取扱実施について
 「燈光会が参観を取扱う個所は、一応年間一万人以上の参観者のある個所を対象と
する線からでている。」
 「今後実施を予定している12個所の実施期日であるが、燈光会では今すぐ実施しよう
とは考えていない模様である。」
 「これが実施にあたっては、一に当該地に勤務する職員の意見を尊重し、その考え方
により決定しようとしている。」
『灯光』 9月号 第3巻・第9号 昭和33年9月1日発行  (毎月1回1日発行)
 ※「前記22個所の中○印の10個所は」とありますが、○印は8個所しかありません。
なぜこうなったのか、理由は不明です。実施中が8個所で、実施準備中が2個所という
ことなのでしょうか。
 ※「灯台」と「燈台」、「灯光会」と「燈光会」の表記が混在していますが、原文のままに
しました。


 燈台参観者数推移 2
 『日本燈台史』による終戦後の燈台参観者数の推移は次の通りです。
年  度 参観燈台数 同総参観者数 年間参観者最多観所および数
昭和24年度 14 106,661 観音埼 44,288
昭和30年度 225,895 (不明)
昭和34年度 12 579,278 犬吠埼 129,912
昭和38年度 11 985,278 出雲日御碕  186,887
昭和42年度 11    1,140,609 犬吠埼  200,368
 ※参観灯台数は燈光会取扱

 その後の参観灯台の推移
 昭和24年度、燈光会で灯台参観事務を始めた時の参観灯台は14灯台でした。
昭和30年度には7灯台と参観灯台数は半減しています。灯光会の参観灯台実施方針
の決定もあり、昭和30年代に10灯台を超え、現在の参観灯台の基本ができたように
思います。
 その後、平成時代になり、参観灯台は少しずつ増えていき、平成19年以降は、これ
までで最高の15灯台になっています。
 ※城ヶ島灯台はいつ頃まで参観灯台だったのでしょうか。城ヶ島・燈台博物館が昭和
43年まで存続していたのは確認できているので、昭和40年代まででしょうか。
 ※昭和33年9月現在で、潮岬灯台が参観実施灯台に含まれていません。当初からの
参観灯台であり、現在も参観灯台です。理由は明確ではありません。
 ※同様に昭和24年の参観灯台であった大王埼灯台が、昭和33年の22灯台に含ま
れていません。現在は参観灯台です。

参観灯台の推移

                          赤色の灯台は現在の参観灯台
                         青色の灯台はそれ以外の灯台 
年・年度 灯  台  名 備     考
昭和24年度 14 観音埼灯台(神奈川県) 『燈光』 昭和25年3・4号による
    犬吠埼灯台(千葉県)  
    城ヶ島灯台(神奈川県)
    出雲日御碕灯台(島根県)  
    野島埼灯台(千葉県)  
    潮岬灯台(和歌山県)  
    清水灯台(静岡県  
    大王埼灯台(三重県)  
    塩屋埼灯台(福島県)  
    剱埼灯台(神奈川県)  
    釧路埼灯台(北海道)  
    チキウ岬灯台(北海道)  
    葛登支岬灯台(北海道)  
    室戸岬灯台(高知県)  
 
昭和33年7月 入道埼灯台(秋田県) 『灯光』 昭和33年9月号による
犬吠埼灯台(千葉県)
野島埼灯台(千葉県)
観音埼灯台(神奈川県)
城ヶ島灯台(神奈川県)
御前埼灯台(静岡県)
紀伊日御埼灯台(和歌山県)
出雲日ノ御碕灯台(島根県)
 ※参考 今後参観実施予定とされた灯台
潮岬(和歌山県) 現在は参観灯台
日和山灯台(北海道)  
釧路埼灯台(北海道)
鹿屋崎()
野間埼(愛知県)
足摺埼(高知県)
江埼(兵庫県)
室戸埼(高知県)
都井岬(宮崎県) 現在は参観灯台
長尾鼻(鳥取県)
岩崎鼻(富山県)
生地鼻(富山県)
禄剛埼(石川県)
大野(石川県)
 
昭和50年頃 10 入道埼灯台(秋田県) 灯台参観記念券セットによる
    塩屋埼灯台(福島県)  
    犬吠埼灯台(千葉県)  
    野島埼灯台(千葉県)  
    観音埼灯台(神奈川県)  
    御前埼灯台(静岡県)  
    大王埼灯台(三重県)  
    潮岬灯台(和歌山県)  
    出雲日御碕灯台(島根県)  
    都井岬灯台(宮崎県)  
 
平成 8年11月 11 平安名埼灯台(沖縄県) 平安名埼灯台が参観灯台に加わる
 
平成13年 4月 12 角島灯台(山口県) 角島灯台が参観灯台に加わる
 
平成13年 8月 13 残波岬灯台(沖縄県) 残波岬灯台が参観灯台に加わる
 
平成16年 4月 14 安乗埼灯台(三重県) 安乗埼灯台が参観灯台に加わる
 
平成19年 3月 15 初島灯台(静岡県) 初島灯台が参観灯台に加わる